こんにちは〜みさきです。
2025年6月15日(日)に「備中高松城」に行ってきました!
かつてこの地で水攻めや、秀吉軍VS毛利軍の戦いがあったとは考えられないくらい、現在は穏やかな公園でした。またちょうど蓮の葉っぱが一面咲いており、夏の訪れを感じました♪
※以下の情報は2025年6月時点です。
備中高松城の基本情報

備中高松城は永禄年間(1558〜1570)に石川久式(または石川久孝)が足守川流域の低湿地帯に築城したとされ、本丸の南東方向に二の丸、三の丸を配置した梯郭式に近い城であったようです。
石川氏の死後は娘婿の清水宗治が城主になりますが、天正10年(1582)に全国統一を目指す織田信長の命令で中国地方の毛利氏を攻略していた羽柴秀吉(豊臣秀吉)から攻撃を受けます。
最後は備中高松城の湿地帯という地形を逆手に取られて水攻めをされ、清水宗治も必死に抵抗するも落城。
現在は公園として整備され、市民の憩いの場となっています。
備中高松城 | |
---|---|
別名 | ー |
城地種類 | 平城(沼城) |
築城年代 | 永禄年間(1558〜1570) |
築城者 | 石川氏 |
天守の現況・形態 | ー |
住所 | 岡山県岡山市北区高松558-2 |
入場料 | なし |
交通アクセス

備中高松駅からは、徒歩で約15分。
私は車で行きましたが、入口前の駐車場に楽々停められました。駐車場は第二駐車場まであります。
続日本100名城のスタンプ場所&御城印の販売場所

続日本100名城のスタンプと御城印は、公園内にある「備中高松城址資料館」で取り扱っています。
こちらの資料館は2023年にリニューアルされたそうで、とても綺麗でした。
ただし、営業時間が10:00~15:00と短いのでご注意を。

中に入るとすぐに窓口があり、そこでスタンプが押印できます。

御城印は通年と季節限定ものと2種類あり、料金はそれぞれ300円。ちょうど私が行ったときは「夏ver」が販売されていました。
【通年ver】

肖像画は清水宗治、そして清水宗治の家紋「右三つ巴紋」に辞世の句、蓮の花があしらわれています。
【夏ver】

こちらは家族が買ったものをパシャリ。
清水宗治の家紋「右三つ巴紋」に辞世の句、そして夏に咲く「宗治蓮」があしらわれています。
備中高松城|二の丸
それでは備中高松城の見どころをご紹介!
続日本100名城のスタンプを押した備中高松城址資料館がちょうど二の丸にあり、二の丸→本丸→三の丸の順に回ったので、その順番でお伝えします。
二の丸の現在

現在は公園となった備中高松城ですが、公園になっているのはかつての城郭の一部分。公園内の二の丸に位置する場所には備中高松城址資料館等があり、公園外の場所には畑や住宅が建っていました。

ちなみに、備中高松城址資料館では備中高松城の歴史がたっぷり知れるので、一番最初に訪れることをおすすめします♪館内には清水宗治の銅像もありました。
宇治蓮

現在はすっかり公園のメインスポットになっているこちらの沼。実は公園造成の際に行った沼の復元によって400年もの間、地下に眠っていた蓮が自然に生えてきたそうです!

かつて清水宗治もこの蓮を眺めていたかと思うと、ロマンがありますよね〜!
備中高松城は6〜8月が絶景時期かもしれません。

備中高松城|本丸

二の丸から橋を渡ると本丸にたどり着きます。本丸は広場になっており、清水宗治の「辞世の句の石碑」と「首塚」がありました。

清水宗治の辞世の句の石碑

「浮き世をば、今こそ渡れ、武士の名を、高松の苔に残して」
天正10年(1582)、備中高松城の戦いで羽柴秀吉(豊臣秀吉)から水攻めにあった清水宗治は、必死に抵抗するも約1か月が経ち、城兵が飢餓に陥った頃、秀吉の「6月3日中に和睦を結べば毛利から領土はとらない。宗治の首だけで城兵の命は助ける」という条件を主君・毛利氏への忠義と城兵ら5千人の命を助けるために承諾。
最後は小舟を浮かべて舞を踊り、この辞世の句を詠み、潔く切腹したそうです。
いや〜主君と部下のために自らの命を差し出すだなんて、武士の鑑ですね。
実は6月2日に秀吉に中国攻めを命令した織田信長は本能寺で殺されており、この事実を清水宗治側も知っていたら…と思うと胸が痛みます。
清水宗治の首塚

石碑の横には清水宗治の首塚がありました。
首塚なので撮影を躊躇しましたが、しっかり拝んで撮らさせていただきました。
備中高松城|家中屋敷曲輪
清水宗治の胴塚
本丸を抜けて案内板に従って進むと、清水宗治の胴塚を発見。

ガッツリ民家の中にあり、びっくりしました!
自刃し、首がない清水宗治の胴体は舟上のまま本丸に帰ってきて、この地に手厚く葬られたそうです。当時の状況を想像すると、なんとも残酷な話ですよね。
こちらもしっかり拝み、撮らさせていただきました。
備中高松城|三の丸
公園内の三の丸

来た道を引き返し、再び三の丸へ。案内板を見ると、入り口前の駐車場も三の丸の範囲内であることが分かりました。
公園内の三の丸には、秀吉によってせき止められた足守川が描かれた石板や、

水攻め時の築堤と本丸の高さを表した表示版、

そして池などがあります。

緑豊かで澄んだ空気…。水攻めという残酷なことをされたにもかかわらず、全くドロドロしていなかったです。

自刃の地

お次はかつての三の丸に位置しますが、公園外にある「自刃の地」。
駐車場から看板に沿って進むと「妙玄寺」を発見。

妙玄寺があるこの辺りが清水宗治が切腹した場所と伝わっているそうです。
そして歴代住職により供養がなされ、昭和38年(1963)には境内にこちらの供養塔が建立されました。

ごうやぶ遺跡

妙玄寺の目の前にあるのが「ごうやぶ遺跡」。
最初は近くにいながらも、どれが遺跡が全然分からなかったのですが、このポツンと立っている木を発見したら大正解。

ここは民を守るために切腹した城主・清水宗治を追って、家臣らが殉死した所と言われています。

備中高松城|城外
船橋

地図を見て遠いのかと思い、車を出した結果、一瞬で通過してしまったた「舟橋」。
結局Uターンして歩いたので、歩いて行かれることをおすすめします(笑)

この橋は水攻めの際に築かれ、兵の移動や物資輸送のために活躍しました。
周辺おすすめスポット
吉備津神社

周辺のおすすめスポットは今年、御本殿と拝殿が再建600年目を迎えた「吉備津神社」。
長~い廻廊と色とりどりのアジサイが美しかったです♪
最後に
城主・清水宗治のことを抜きにしては語れない備中高松城。
歴史が苦手な私ですが、初めて城という遺跡よりもこの地で起きた歴史に夢中になって、清水宗治の痕跡を追っかけていました(笑)
秀吉も「武士の鑑」と絶賛していた通り、日本史のターニングポイントで清水宗治のような素晴らしい武士がいたことを知れて、本当に良かったです。
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