こんにちは〜みさきです。
2025年11月15日(土)に東京都千代田区にある「江戸城」に行ってきました!
東京駅周辺には何度か来たことがありましたが、江戸城をじっくり歩くのは今回が初めて。
姫路城よりはるかに巨大だったと言われる日本最大級の城郭は、今も残る遺構から、そのスケールをしっかりと感じることができました♪
※以下の情報は2025年11月時点です。
江戸城の基本情報

江戸城は、1457年に太田道灌によって築かれ、1590年の北条氏滅亡を機に徳川家康が入城しました。その後、1603年に江戸幕府が開かれ、約300年にわたり日本の政治の中心として重要な役割を果たします。
1868年の明治維新以降は皇居となりましたが、一部は一般公開されており、現在も日本の象徴的な場所として、多くの人が訪れています。
| 江戸城 | |
|---|---|
| 別名 | 千代田城 |
| 城地種類 | 平城 |
| 築城年代 | 長禄元年(1457)、慶長11年(1606)、元和8年(1622)、寛永14年(1637) |
| 築城者 | 太田道灌、徳川家康、徳川秀忠、徳川家光 |
| 天守の現況・形態 | 天守台のみ残る |
| 住所 | 東京都千代田区千代田1-1 |
| 入場料 | なし |
交通アクセス
江戸城周辺には、竹橋駅・大手町駅・東京駅などがあり、どの駅からでも歩いて行くことができます。
今回私は羽田空港から向かったので、一番アクセスしやすかった東京駅を選びました。

東京駅の丸の内中央口から出て、10分ほど真っ直ぐ歩くと、江戸城に到着します!
日本100名城のスタンプ場所
日本100名城のスタンプ場所は、以下の3か所。
- 楠公休憩所
- 和田倉休憩所
- 北の丸公園第3駐車場
私は東京駅からのルート上にある「和田倉休憩所」で押印しました。
和田倉休憩所とは、このオーストリアのシドニー・オペラハウス風の建物の真ん中部分です(笑)

右側はスタバなのでお間違いないように!
赤い星印の所から中に入ると、スタンプ台があります。

とってもシンプルですね!

スタンプもバッチリ!誕生日の日に押せてとっても満足です☺︎
御城印の販売場所
江戸城の御城印は「NPO法人 江戸城天守を再建する会」さんがイベントや講演会を開催する時のみ販売しているそう。
他のお城のように常時購入できるものではありませんでした(涙)
念のため、江戸城内の売店でも確認したのですが、やはり売ってなかったです•••。
江戸城|濠
それでは、江戸城の見どころをご紹介!
濠
江戸城の「濠(ほり)」は城を防御するために、外濠・中濠・内濠からなる重層的な構造でした。

特に外濠は江戸初期に大規模に整備され、城下町全体を守る役割を担っていたとされています。
現在も皇居を取り囲む巨大な濠は、見る者を圧倒する迫力がありますね。
江戸城|西の丸下(皇居外苑)
現在の皇居外苑は、江戸時代では「西の丸下」と呼ばれていました。かつては幕府老中などの屋敷がありましたが、明治10年代以降は広場として使われています。
楠木正成像
江戸城西の丸下の南側に建つ像は、14世紀に後醍醐天皇に忠義を尽くした武将・楠木正成です。

その忠誠心は後世に高く評価され、1900年に像が建立されました。
明治時代に広まった「忠君愛国」の精神を象徴する存在として知られていますが、ぽつんとあるので、見つけるのに少し時間がかかりました(笑)
外桜田門
銅像から西に向かうと、「外桜田門」があります。
外桜田門とは、本丸近くにある内桜田門に対する城門。西の丸を防備するために異例の規模で築かれ、内側の渡櫓門と外側の高麗門からなる二重構造の外枡形門となっています。
こちらが内側の渡櫓門で、

こちらが外側の高麗門です。

ここは歴史的にも重要な場所で、1860年には門外で「桜田門外の変」が起こり、井伊直弼が暗殺されました。また、1923年の関東大震災で被害を受けましたが、その後復元されています。
ちなみに、この日はマラソン大会が行われており、外桜田門がゴール地点になっていました!
二重橋・伏見櫓
外桜田門から北に行くと、「二重橋」と「伏見櫓」が望めます。
この手前に見える、アーチが二つある橋が「正門石橋」で、

奥に見えるのが「正門鉄橋」と言います。

この二つの橋をまとめて「二重橋」と呼ぶ人も多いですが、本来の意味ではないそう。正門鉄橋はかつて木橋で、その下に橋桁を支えるもう一つの橋があったため、二重に架けられた橋=二重橋が正解なんだとか。
また、後方には現存する数少ない江戸城の櫓である「伏見櫓」が見えます。京都にあった伏見城の櫓を解体して移設したと伝わっています。
坂下門
二重橋から北に行くと、「坂下門」があります。
坂下門とは、西の丸から低地へ下った場所にあることから名付けられました。

本来は高麗門を備えた枡形門でしたが、1887年に高麗門が撤去され、現在は渡櫓門だけが残っています。
門の奥には宮殿があるため、警備体制も万全でした!
桜田門(桔梗門)
坂下門からさらに北に行くと、「桜田門(桔梗門)」があります。
桜田門(桔梗門)は、江戸城本丸の南口の通用門で、大手門と並ぶ門でした。

門自体は1614年に、桔梗濠沿いの石垣は1620年に造られたそうです。
現在も手前の高麗門と右手に見える渡櫓門からなる桝形門の形が残っていますね。
巽櫓
桜田門(桔梗門)から東に行くとあるのが、「巽(たつみ)櫓」。
巽(たつみ)櫓は、江戸城で現存する唯一の隅櫓です。

隅櫓は、お城の隅に設けられ、周囲や死角を監視する役割を担っています。
水面に綺麗に反射する櫓の姿がとっても幻想的。しばらく見惚れちゃいました♡
江戸城|三の丸
お次は、江戸城の三の丸をご紹介!
三の丸・二の丸・本丸への入り口は、大手門・北桔橋門・平川門の3か所あり、いずれも入城時に手荷物検査があります。
大手門
巽櫓からも近く、1日におそらく最も多くの人が出入りしているだろう「大手門」。
大手門は江戸城の正門で、かつては諸大名もこの門から入城していたそうです。

ここも手前に高麗門、奥に渡櫓門を備えた枡形門という構造になっています。
渡櫓門は1945年の空襲で焼失しましたが、1967年に復元されました。
同心番所
大手門から入城すると、一番最初に見えるが「同心番所」。

番所とは、城内を警備するための詰所のことです。江戸城には後述しますが、百人番所・大番所・同心番所の3つが残っています。
ここは主として「同心」と呼ばれる武士が詰め、登城者の監視に当たっていたそうです。

屋根瓦には、皇室の菊の紋や徳川家の葵の紋がありました!
平川門
同心番所からは、はるか北にありますが、三の丸に位置するのでこのタイミングでご紹介するのが「平川門」。
大手門が正門であるのに対し、平川門は御殿に勤めていた奥女中などの通用門として使用されていたそうです。

小さな脇門は、「帯曲輪」と呼ばれる細長い渡り堤に繋がっています。
江戸城|二の丸
お次は二の丸をご紹介!
百人番所
同心番所のすぐ近くに、「百人番所」があります。
百人番所は、本丸へ向かう重要な通路を厳重に警備するため、大手中之門の反対側に設けられた詰所です。

100人の同心が昼夜交替で警備にあたっていたことから、その長さはなんと50m超え。横に長〜い建物となっていました。
二の丸庭園
二の丸の真ん中には「二の丸庭園」があります。
現在の回遊式の庭園は、9代将軍徳川家重の時代の庭園を基にして造られました。

ちょうど、紅葉が見頃でとっても綺麗でした♪
諏訪の茶屋
二の丸庭園の近くには、「諏訪(すわ)の茶屋」があります。

諏訪の茶屋は、もともと江戸時代に諏訪神社があった場所(現在の皇居内)に、1912年に建てられました。その後、1968年に現在の場所へ移築されたそうです。
江戸城|本丸
大番所
「大番所」は大手中之門の内側に設けられていた警備詰所です。

ここには位の高い武士が勤務していたそうです。
富士見櫓
大番所から南西に進むと、「富士見櫓」があります。
富士見櫓は、本丸地区に現存する唯一の櫓。遺構の中で最も古いと言われています。

1657年の明暦の大火で焼失するものの、その後間もなく再建され、天守の代わりとして使用されていたそうです。
近くまでしか行けれませんが、建物そのものに長い歴史を感じました。

松の大廊下跡
富士櫓から時計回りに進むとあるのが「松の大廊下跡」。
松の大廊下とは、かつて江戸城の本丸御殿内にあった、襖に松と千鳥が描かれた長い畳敷きの廊下のことです。

現在も多くの舞台芸能や文学作品、映画、ドラマなどで登場しています。
富士見多聞
松の大廊下跡から少し北へ進むと、「富士見多聞」があります。
多聞とは長屋造りの防御施設のことで、江戸城にはかつて数多く存在していましたが、現存するのは富士見多聞と、伏見櫓の左右に付属する多聞のみだそうです。
現在の富士見多聞は、1657年の明暦の大火で焼失した後に再建されたものです。

江戸城に残る遺構の中で唯一、中に入ることができます。

窓からは立ち入り禁止エリアの方面が眺められます。
石室
富士見多聞の近くには、「石室(いしむろ)」があります。
ここは、かつて江戸城本丸御殿の大奥の脇にあたる位置だそうです。

石室の用途については諸説ありますが、火事など非常時の避難場所として使われていたと考えられています。
天守台
石室から北に進むと、いよいよ「天守台」があります。

江戸城の天守は、徳川家康の入城以降、1607年・1623年・1638年の計3回建てられました。
中でも最も規模が大きかった3回目の天守は、五重六階の建物と天守台を合わせると、高さはなんと約60m!日本の城郭の中で最も高い天守だったとされています。

模型で見ても、そのスケールの大きさが伺えますね。
※本丸休憩所には天守の模型が飾られています。
実際の石垣を近くで見ても、ご覧の通り、大迫力!(笑)

しかし、この3回目の天守も1657年の明暦の大火によって焼失。その後、天守台となる石垣までは築かれたものの、再建は中止されてしまいました。軍事的な象徴である天守よりも、焼け野原となった江戸の町の復興が優先されたためだそうです。
その結果、江戸時代を通して天守が存在したのは、わずか50年ほど。江戸城は約210年にわたり天守のない状態が続き、現在に至っています。

天守台は、上まで登れます。ちょうど夕暮れ時で綺麗でした!
本丸御殿
天守台から見た、現在の本丸広場はこんな感じ。

この景色からは想像できませんが、かつてはこの一帯を包み込むほどの広大な本丸御殿が建ち並んでいたそうです。

北桔橋門
天守台の裏手には、「北桔橋門(きたはねばしもん)」があります。
本丸の裏側を守る、重要な役割を担っていた門です。

ここに架かる橋は、いざという時には跳ね上げて、敵の侵入を防ぐ仕組みになっていました。
梅林坂・汐見坂
二の丸から本丸へ向かう坂には、「梅林坂」と「汐見坂」があります。
こちらは梅林坂を上から撮影したもの。

江戸城を築いた太田道灌が、ここに数百株の梅を植えたことから、この名が付いたとされています。
現在は約70本の梅が植えられており、花の季節には一面が梅に彩られるそう。満開の景色もぜひ見てみたいですね!
そして、こちらは汐見坂を下から撮影したもの。

徳川家康による江戸城築城当時、この坂からは海を眺めることができたことから、汐見坂と名付けられたそうです。
最後に
想像以上に広大だった江戸城!
正直、3時間の滞在でもキツキツでした(笑)
広大な江戸城には歴史だけでなく、四季を映す美しい自然も満載なので、訪れる度にまた違った魅力に出会えそうです!

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