【日本100名城No.85】福岡城の登城記録!スタンプや御城印の場所、見どころをご紹介

日本100名城

こんにちは〜みさきです。

2026年8月25日(火)に福岡県福岡市にある「福岡城」に行ってきました!

福岡空港や博多駅からもアクセスしやすく、現在は舞鶴公園として整備されている福岡城ですが、多聞櫓や石垣、門跡など、当時の面影を感じられる場所がたくさん残っています。

実際に歩いてみると想像以上に広く、坂道を上ったり石垣を眺めたりしながら、まるで探検しているような気分に。今回は、私が実際に歩いた順番に福岡城をご紹介します!

※以下の情報は2026年8月時点です。

福岡城の基本情報

福岡城は、関ヶ原の戦いの後、筑前国に入った黒田長政によって慶長6年(1601)頃から築かれ、約7年の歳月をかけて完成したとされています。

黒田氏の居城として、本丸・二の丸・三の丸を段階的に配置した梯郭式の平山城として整備され、「福岡」という城名は、黒田長政の祖先の地である備前国邑久郡福岡(現在の岡山県瀬戸内市)に由来すると言われています。

なお、天守台は残されていますが、福岡城に天守が築かれたかどうかについては、現在も明確には分かっていません。

明治時代以降、建物の多くは失われましたが、現在は舞鶴公園として整備され、多聞櫓や石垣、天守台などの遺構が残されています。

福岡城
別名舞鶴城
城地種類平山城
築城年代慶長6年(1601)
築城者黒田長政
天守の現況・形態天守台のみ残る
住所福岡県福岡市中央区城内1-1
入場料なし

交通アクセス

福岡空港からは地下鉄でアクセスできます。

私は飛行機で福岡空港に到着し、行きは「赤坂駅」で下車し、帰りは「大濠公園駅」から乗車しましたが、どちらもアクセスは良好でした!

福岡城は、赤坂駅と大濠公園駅の間に位置しているので、どちらの駅を利用しても、福岡城をぐるっと一周しながら散策できます。

日本100名城のスタンプ場所

日本100名城のスタンプ場所は、以下の3か所に設置されています。

  • 福岡城むかし探訪館
  • 三の丸スクエア
  • 鴻臚館跡展示館

私は、福岡城むかし探訪館で押印しました。

「日本100名城」の認定証も置いてあります。

御城印の販売場所

御城印も、福岡城むかし探訪館で販売されています。

種類は4種類!

私は、初代藩主・黒田長政の400年忌を記念して制作された銀色の御城印を購入しました。

料金は500円。

銀色のしっかりとした紙で、光沢があり、高級感のある仕上がりです。

黒田長政を象徴する「銀箔押一の谷形兜」にちなんで銀色の台紙が使用され、黒田家の家紋「藤巴紋(ふじともえもん)」や「一の谷形兜(いちのたになりかぶと)」、花押などがデザインされています。

細部までこだわりを感じる御城印ですね。

福岡城|三の丸東側

上之橋御門跡

赤坂駅から福岡城へ向かうと、最初に目に入るのが、上之橋御門跡。

「上之橋御門」は、城内へ入る3つの門のうち、最も格式の高い門だったと言われています。

かつては藩主が参勤交代の際に通る門として使われていたそうです。

東御門跡

上之橋御門と福岡城むかし探訪館を通過した後、見えてくるのが東御門跡。

「東御門」は、三の丸から二の丸へ入るための主要な門です。

石段の横にある石垣には、藩主の威厳の象徴といわれる「鏡石」があります。

福岡城|二の丸東側

扇坂・扇坂御門跡

東御門跡から少し進むと、扇坂・扇坂御門跡があります。

「扇坂御門」は、東二の丸から西二の丸へ続く場所にあった門です。

その名の通り、扇を広げたような形の階段があったことが分かっており、このような扇形の階段は全国の城でも珍しいものとされています。

表御門跡

「表御門」は、二の丸から本丸へ上がる場所にあった門です。

櫓門形式の重厚な造りだったとされています。

日常的に使用されていた裏御門に対し、表御門は特別な日に使用されていたそうです。

石垣も立派ですね。

福岡城|本丸

本丸御殿跡

表御門跡から本丸に入ると、本丸御殿跡があります。

「本丸御殿」は、初代藩主・黒田長政が居所とし、政務を行っていた場所です。玄関だけでも32畳の広さがあり、広大な御殿だったとされています。

二代藩主以降は、三の丸に新しい御殿を建て、そこで居所と政務を行うようになったため、本丸御殿は主に儀礼の場として使用されるようになりました。

現在は桜の木がたくさん植えられており、春にはお花見を楽しめる場所となっています。

鉄御門跡

「鉄御門」は、本丸の北側に設けられていた門です。門扉に鉄板が張られていたことから、この名が付いたとされています。

埋門跡

「埋門」は、鉄御門の先にある、本丸北側のもう一つの門です。敵から見つかりにくいよう、石垣の中に門を埋め込むように造られていたとされています。

大天守台

埋門跡から階段を上がると、大天守台です。

福岡城には天守台があるものの、実際に天守が築かれていたかどうかは、現在も明確には分かっていません。

大天守台からは、福岡市街を一望できます。

小・中天守台

大天守台の東側には、小天守・中天守を思わせる櫓が建てられていたそうです。

大天守台と小・中天守台を形成する石垣は、本丸を南北に分断する全国的にも珍しい構造となっています。これは、南側からの敵の侵入を防ぐためのものだったと考えられています。

武具櫓跡

本丸の南側には、「武具櫓」がありました。東西に3階建ての櫓があり、その間を2階建ての多聞櫓がつなぐ構造で、南側からの敵の侵入に備えた厳重な構造だったそうです。

武具櫓跡から裏御門跡へ続く坂は石垣に囲まれており、まるでタイムスリップしたような気分になりました。

福岡城|二の丸南側

裏御門跡

坂を下ると、裏御門跡があります。

「裏御門」は、特別な日に使用する表御門に対し、藩主が日常的に使用していた門です。

門の左手には「古時打櫓」と呼ばれる櫓があり、時刻を知らせる太鼓が設置されていたそうです。

桐の木坂

裏御門跡から南に進むと、桐の木坂があります。

桐の木坂は、三の丸から二の丸へ登る2つの坂のうちの一つです。

多聞櫓

桐の木坂の地点からさらに南へ進むと、門があります。

この門をくぐると、右手に「多聞櫓」があります。

多聞櫓は、江戸時代から城内に残る唯一の櫓で、国指定重要文化財です。

総延長72mの櫓は、両端に二層の隅櫓をもち、内部は16の小部屋に分かれているそうです。

反対から見ると、こんな感じ。確かに長いです!

ずっと見ていられますね。

福岡城|二の丸西側

松の木坂

多聞櫓から引き返し、二の丸の西側に進むと、「松の木坂」があります。

松の木坂は、桐の木坂と同じく、三の丸から二の丸へ登る坂です。

福岡城|三の丸西側

名島門

三の丸の西側に進むと、「名島門」があります。

名島門は、小早川隆景が築いた名島城の脇門だったとされています。

その後、黒田長政が居城を名島城から福岡城へ移す際に家臣へ下げ渡され、武家屋敷の門として使用されていたそうです。

昭和36年(1961)に現在の場所へ移築されました。

旧母里太兵衛邸長屋門

名島門から北に進むと、「旧母里太兵衛邸長屋門」があります。

旧母里太兵衛邸長屋門は、黒田二十四騎の一人である母里太兵衛の屋敷にあった門です。

昭和40年(1965)に現在の場所へ移築されました。

下之橋御門・(伝)潮見櫓

そして、さらに北に進むと、「下之橋御門」と「(伝)潮見櫓」があります。

下之橋御門は、城内に入るための日常の通用門として使用されており、現在あるものは平成20年(2008)に復元されたものです。

(伝)潮見櫓は、昭和31年(1956)に現在の場所へ移築されたもの。

近年の調査によって、実際には潮見櫓ではなく別の櫓であったことが分かり、現在は「(伝)潮見櫓」と呼ばれています。

潮見櫓

「(伝)潮見櫓」の近くには、本物の「潮見櫓」が復元されています。

潮見櫓は、明治41年(1908)に「崇福寺」へ移築され、長らく仏殿として使用されていましたが、平成3年(1991)の調査によって、福岡城の「潮見櫓」であることが判明しました。

現在は福岡城内の元の位置に移築復元され、江戸時代当時の部材も残されています。

この濃い茶色の部材が江戸時代当時の部材だそうです。

櫓内は見学可能で、案内スタッフの方が親切に見どころを教えてくださいました☺︎

最後に

福岡城は、天守こそ現存していませんが、石垣や門跡、多聞櫓などが残っており、実際に歩いてみると城跡の広さや当時の雰囲気を感じることができました。

特に、石垣に囲まれた坂道や多聞櫓などは、街中にいることを忘れてしまうような城跡らしさがあり、歩いていて楽しかったです。

また、赤坂駅と大濠公園駅のどちらからもアクセスしやすく、福岡市内の観光と合わせて訪れやすいのも魅力だと思います。

福岡を訪れる際は、ぜひ実際に歩きながら福岡城の歴史を感じてみてください♪


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